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大阪地方裁判所 昭和59年(人)5号 判決 1984年11月13日

請求者

X

右代理人

森島忠三

丸山惠司

被拘束者

Z

右代理人

笹原滋功

拘束者

Y

右代理人

原健二

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求の理由1の事実、及び、請求者が婚姻後拘束者の住所地において、拘束者の実母、拘束者と先妻との間の子と同居して生活していたこと、請求者が焼肉店を開店したこと、昭和五八年一〇月一日、請求者が被拘束者を連れて肩書住所地の拘束者宅から出て行つたこと、昭和五九年一〇月一日に拘束者が被拘束者を肩書住所地の自宅へ連れ帰つたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、かかる事実に、<証拠>を総合すると、一応次の事実が認められる。

1  請求者は、西暦一九四八年八月二五日韓国で出生した韓国国籍を有するものであるが、韓国において高校を卒業した後、両親の援助によりパーマ屋を経営していた時に、韓国在住の拘束者の姉の紹介で拘束者と見合をし、一九七二年一月一二日、韓国において拘束者と婚姻後、同年(昭和四七年)一〇月二〇日ころ拘束者と婚姻生活を営むべく初めて来日し、拘束者の肩書住所地である大阪府茨木市○○町○番○○号所在の拘束者宅で拘束者、その実母及び拘束者の先妻との間の子二人と共に居住するようになり、その後昭和四八年六月一〇日ころから同五八年九月三〇日まで茨木市宿川原町所在の店舗を賃借して焼肉店「○○○」を経営し、現在は自己の肩書住所地である大阪府豊中市○○○町○丁目○○番○号所在のコーポ〇二〇二号室に居住し、近くの食堂で店員として稼働している。

2  拘束者は、一九三四年一二月五日大阪市南区において出生した韓国国籍を有するもの(昭和四六年四月二八日協定永住許可)であるが、定時制高校を卒業後、クリーニング店店員、クリーニング店経営、トラック運転手、焼いも屋、生コン車運転手、瓦屋のアルバイト、生産廃棄物処理業者であるクリーン松土勤務、山口土木作業員兼運転手、岩打建設勤務という職歴を経て、現在は土木作業に従事している。なお、拘束者には、離婚歴が一回あり、前妻との間に二人の子をもうけているが、右子らはいずれも現在成人である。

3  請求者と拘束者とは、婚姻後の昭和四九年一月二九日に被拘束者をもうけたが、請求者は、婚姻前に拘束者の姉から拘束者は会社社長をしており、子供は一人だけである等と聞かされていたにもかかわらず、実際には前妻との間の子が二人おり、しかも拘束者は前記のとおり職を転々とする状態であつたことから、婚姻当初から拘束者に対して若干の不満を感じていたところ、請求者が日本語を解するようになり、「○○○」の経営も軌道に乗り始めた昭和五〇年ころから徐々に夫婦仲が冷却して行き、その後も夫婦仲は一向に改善されることなく推移し、その間、拘束者は、請求者が昼間よく外出することや、拘束者が「○○○」に顔を出すことを嫌うこと等から、請求者が店の客と不貞行為に及んでいるのではないかとの疑念を抱くようになり、請求者や客に対してしばしば暴行を加えることがあつた。そして、昭和五八年九月三〇日夜、「○○○」店内で拘束者や店の客らとの間で激しい喧嘩が起こり、警察沙汰となつたため、ついに請求者は拘束者との離婚を決意し、翌一〇月一日朝、被拘束者を連れて家出をした。

4  請求者は、家出後自己名義で購入していた大阪市西淀川区所在の店舗兼居宅の二階居宅部分に被拘束者とともに密かに移り住み、被拘束者を同区内の○小学校へ通学させていたが、昭和五八年一一月六日ころ、右居宅へ興信所を使つて請求者らの所在を突き止めた拘束者及びその親族が押しかけ、被拘束者を拘束者の自宅に連れ戻すとともに、請求者から右店舗兼居宅の権利証等を取り上げる一方、請求者の身柄を堺市内の拘束者の親せき宅へ預けた。その後、請求者は、しばらくは、右親せきを通じて拘束者から前記権利証等を取り戻すべく交渉したがその効なく、かえつて右親せきから一時韓国へ帰ることを勧められたので、これに従うことにし、昭和五八年一二月六日ころ、当時被拘束者が通学していた○○小学校へ行き、拘束者に無断で被拘束者を連れ出し韓国へ渡つた。

5  請求者は、できるならば被拘束者とともに韓国に留まりたいと考え、韓国に滞在中、被拘束者に教育を受けさせるべく努力したが、被拘束者はほとんど韓国語を習得することができず、韓国の学校で教育を受けさせることは無理であつたし、日本人学校には両親ともに韓国人であるため入学を断られ、また適当な家庭教師も見当たらなかつたため、結局は被拘束者に充分な教育を受けさせることができなかつた。その後、拘束者が前記権利証等を利用して前記店舗兼居宅等の登記名義を自己に移転している事実が判明したため、請求者は、拘束者を相手に右不動産について所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟の提起を余儀なくされ(当庁昭和五九年(ワ)第一二二五号事件)、結局、右訴訟追行上の便宜や、前述の如く朝鮮語が習得できない被拘束者のためには日本で教育を受けさせるのが得策であるとの判断から、被拘束者とともに日本で居住することを決意し、昭和五九年五月八日、被拘束者を連れて再度来日し、以後、大阪府豊中市に居住する同人の母親の姉であるM子方において、右M子、請求者、被拘束者の三名で共同生活を始め、昭和五九年五月一六日以降、被拘束者は○○市立○○小学校五年四組に編入されて通学していた。

6  他方拘束者は、遅くとも昭和五九年六月ころには、請求者が被拘束者を連れて日本へ戻つていることを察知していたところ、前記民事訴訟の拘束者側証人予定者に対して、暴力団員風の男が証言をしないように圧力をかけるといつたことがあり、拘束者は、これも請求者の差し金であると考えて、このような行為に出る請求者に被拘束者の監護養育を委ねておくならば被拘束者の将来に悪影響を及ぼすばかりでなく、請求者は従前拘束者と同居していた時分に、被拘束者に食事代として若干の金銭を与えてこれを放置し、自らは外出してしまうということがたびたびあつたので、是非とも被拘束者を自己の手元に引き取らなければならないと考えるようになり、同年一〇月一日午前八時すぎころ、先妻との間の子である乙一(満二二歳)及び乙二(満二〇歳)と共に○○小学校正門で被拘束者が登校してくるのを待ち受け、当時内心では請求者のもとで生活していたいとの気持ちに傾いていた被拘束者を拘束者らの言うがままに従わせて、そのまま前記拘束者宅へ連れ帰つた。そして、拘束者は、一〇日間程自宅で被拘束者とともに過ごした後、二、三日間、日中のみ被拘束者を近所に住む実妹のS子宅に預け、夜間は自宅へ連れ帰り、その後には、妹のH子から京橋所在のマンションを一時借り受け、日中は被拘束者を右マンションの近所のH子宅に預け、夜間はこれを引き取つて右マンションで居住しているが、この間、拘束者は、登校途中に被拘束者を再度請求者に連れ戻されることをおそれ、被拘束者を学校へ通学させていないし、家庭裁判所や学校に対してそのためのしかるべき措置を求めるなどの手続きをしていない。

以上の事実が一応認められ、右認容を覆すに足りる証拠はない。

二そこで、まず、拘束者の右行為が人身保護法及び同規則にいう拘束にあたるか否かにつき判断するに、被拘束者は、前記のとおり一九七四年一月二九日生まれの満一〇歳九か月(小学校五年生)の児童であり、しかも請求者本人尋問の結果によれば、被拘束者は昭和五九年九月ころには前記○○小学校において中位程度の学業成績を修めていたとの事実が一応認められるから、右のような児童は、その年齢・学力に照らして一般的に考える限り、既に相当程度、事理の是非を弁識するに足りる能力を有するものと認められなくもない。しかしながら、他方、<証拠>を総合すれば、被拘束者は、容易に他人から影響を受け、いささか自主性ないし積極性に欠ける性格であることがその供述内容及び供述態度から看取されうるばかりでなく、小学五年という学齢にもかかわらず、現在も自分なりに自己の将来について積極的に考える、という態度が見受けられないこと、さらに、相当長期に亘つて学校を欠席しているにもかかわらず、学校へはそれ程行きたくもない旨を供述しているところ、その真意は、長期欠席の影響により、拘束者のもとで一日中テレビを見られる方が楽しいとの考えに傾きつつあるためであることが一応認められ、かかる事実に照らして考えるならば、本件被拘束者が、前記年齢及び学力を有する児童であるからといつて、そのことから直ちに同人が意思能力を有するものと即断することはできないのであつて、むしろ、被拘束者は、自己の境遇を認識し、かつ将来を予測して適切な判断をするにつき、未だ十分な意思能力を有するものとは認め難いというべきである。そうである以上、拘束者においてこのように意思能力の不十分な児童を監護養育することは、監護方法の当、不当または受情に基づく監護であるかどうかにかかわりなく、人身保護法および同規則にいう拘束に該当するものというべきである(昭和四三年七月四日第一小法廷判決、民集二二巻七号一四四一頁参照)。

三そこで、拘束者の抗弁1について、判断するに、拘束者は、韓国民法九〇九条一項但書を援用して、本件拘束が正当な親権の行使として行われたものであるから本件拘束にママ違法な拘束ではない旨を主張する。しかして、前記一の認定事実によれば、本件当事者はいずれも韓国国籍を有するものであつて、請求者と拘束者との間の夫婦関係はすでに破綻状態にあることが認められるから被拘束者をいずれが養育監護するかにつき意見の対立が存するものというべきであるところ、法例二〇条によりその準拠法となるべき韓国民法九〇九条一項但書によれば、夫婦共同親権の例外として、父母の意見が一致しない場合には父が親権を行使するものとされているから、韓国民法上被拘束者に対する監護権を有するのは拘束者のみであつて、請求者はこれを有しないものと解する余地もないわけではない。しかしながら、本件において、右韓国民法の規定がそのまま適用になるか否かについては、その適用により家族生活における個人の尊厳、男女平等及びこれから派生する親権の父母共同行使の原則というわが国の社会通念に反する結果ともなるし、一定の場合に、離婚に伴う未成年の子の親権者を父に限定する韓国民法九〇九条を適用して親権者を父と指定することは、わが国の公序良俗に反し、法例三〇条により許されないとした最高裁判所判例(昭和五二年三月三一日第一小法廷、民集三一巻二号三六五頁参照)の趣旨に照しても疑問の余地がある。のみならず、そもそも、人身保護法に基づく子の引渡請求においては、子に対する拘束が単に親権に基づく監護かどうかではなく、究極的には「子の幸福」に主眼を置してその違法性を判断すべきものと解するのが相当であるから、たとえ韓国民法上拘束者のみが被拘束者に対する親権又は監護権を有するからといつて、そのことから直ちに拘束の違法性を欠くものと解すべきものではない。このことは、右の子の幸福度の比較考量の要素として監護権の存在を重視し、非監護権者から監護権者に対する引渡請求においては、監護権者の養育監護が著しく不当なときに限つて請求を認容すべきであるとの立場に立つても、右に述べた法理に変わりはない。これを要するに、本件の如く、韓国国籍を有する夫婦の一方から他方に対し、人身保護法に基づく子の引渡を求める場合であつても、法律上の監護権の所在にのみ拘泥することなく、共同親権に服する子の引渡を請求する場合に準じ夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として子に対する拘束状態の当、不当を判断し、これによつて請求の許否を決すべきものと解するのが相当であるから(前掲の最高裁判所判決参照)、拘束者の抗弁1の主張は採用することができない。

四そこで、以下において、右の観点に則して、拘束者の抗弁2について検討を加える。

1(一)  拘束者側の事情

<証拠>を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

(1) 拘束者は現在被拘束者とともに、前記H子所有のマンション(六畳、六畳、八畳、四畳半)に起居しているが、被拘束者の監護のための一時的な居所にすぎず、いずれは前記拘束者宅へ帰る方針であるところ、右自宅には現在、六畳、六畳、七畳の三部屋に、職業安定所で掃除婦として稼働中である拘束者の実母(八三歳)、私立○○○大学二年の長男(二二歳)及び寿司屋で稼働中の次男(二〇歳)が居住しているので、拘束者らが帰れば五名で居住することになる。また拘束者宅の近所には前記S子(四二歳)が夫と離婚し、中学生と高校生の娘二人とともに居住しているが、生活は豊かでなく、前記H子(四五歳)も最近夫と死別し、成人及び成人に近い二人の子と共に前記マンションの近くで居住している。

(2) 拘束者は、年齢は五〇歳で健康状態は良好であり現在は土建業者の下で土木作業に従事しており、その給与は日給月給で日額一万二〇〇〇円で、勤務時間は午前八時三〇分から午後五時までであり、月に二五日程度稼働している。

(3) 被拘束者は、本件拘束以降学校へ通学しておらずそのため友人もないので外へ出てもおもしろくなく、(被拘束者は、その本人尋問において、親しい友人として○○小学校の同級生の名前を数人挙げていた。)もつぱら室内でテレビを見る毎日を送つている状態である。拘束者は現在、請求者に奪い還されることを恐れて、被拘束者を通学させていないが、将来は学校へ通学させる意思を有しており、被拘束者の将来については、本人の適性を見極めた上で決めたいと考えている。

(二)  請求者側の事情

<証拠>を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

(1) 請求者は、昭和五九年五月八日以降、前記M子方に居住しているところ、同人方は四階建の建物で一階がカレージになつており、二階に同人の長男一家が住み、三階に同人の五男一家が住み、四階部分を請求者と右M子が使用しており、ここに被拘束者を従前どおり迎え入れる予定であるが、その広さは六畳、八畳、一〇畳及び台所である。

(2) 請求者は、年齢が三六歳で健康であり、現在右住所地から徒歩五分程度の距離にある食堂で働いており、収入は月額一五万円から一三万円程度であるがM子の好意により無償で前記住居を提供されており、また前記西淀川区○丁目所在の店舗兼住宅の店舗部分を他に賃貸し、月額約二〇万円の家賃収入を得ている。

また、前記食堂の勤務時間は午前九時から午後二時まで、及び午後五時から同九時までであるから、一応請求者本人が拘束者の監護を行いうる態勢にあり、さらに請求者の不在中はM子らがその監護にあたることができる。

(3) 被拘束者がM子から○○市立○○小学校へ通学していた当時、同人の健康状態は良好であり、性格的にも問題がなく、学業成績も中位程度まで上がつてきており、またM子の孫にあたるAが被拘束者と同じ○○小学校五年四組に在学している関係もあつて、二、三の友人も出来、右M子方へもよく遊びに来ていた。被拘束者は現在、○○小学校を休学の扱いになつているが、担任教師も事情を理解しており、被拘束者が復学した場合にもクラス全体が暖かく迎え入れうる状態である。

(4) 請求者は性格的に勝気な面もあるが、被拘束者に対して深い愛情を抱いており、また昭和五七年九月ころわが国において一般永住の資格を取得し、現在は日本に永住する意思であつて、被拘束者の将来については本人が希望すれば大学へ進学させたいと考えている。

2  以上の認定事実にもとづいて、被拘束者の監護を当面請求者と拘束者のいずれに委ねるのが被拘束者の幸福に適するかを比較検討する。

(一)  まず子の健全な成長のためには、その成育環境の継続性・安定性が要請されるところ、拘束者による被拘束者の監護期間は、その開始から一か月余りと日も浅く、しかもその生活環境は転居等により二度にわたり変化しているから、未だ拘束者の下における生活が安定するに至つたものとは認め難く、かえつてM子方における約五か月間の請求者との生活の継続性を図ることが、被拘束者の成育環境の継続性、安定性の要請に資するものと思われる。

(二)  次に、子の意思の点については、被拘束者はその本人尋問において、拘束者といる方が少し楽しい旨を述べているところ、その理由はテレビを長く見られるからという単純・幼稚なものであり、しかも前掲疎丙第一号証によれば、被拘束者は請求者又は拘束者の特にどちらか一方がよいというのではなく、又請求者を嫌悪している等の事情も窺えないから、この点はさほど重要視すべきではない。

(三)  双方の被拘束者に対する愛情の点では特段の優劣があるものとは認められないが、養育特に学校教育に対する条件、配慮については、拘束者が本件拘束中、住居を転々とし、また、たとえ請求者に被拘束者を奪い還されることを心配したとしも、義務教育中の被拘束者を学校へ全く通学させず、友人もおらず、もつぱら室内でテレビを見て過ごさせるという劣悪な養育環境に放置しているのに対し、請求者は、確かに渡韓中は被拘束者に十分な教育を受けさせていないものの、請求者なりの努力を払つており、殊にM子方に同居するようになつてからは、学校へ規則正しく通学させたことにより、被拘束者の情操も安定し、友人もでき、学業成績も向上しているのであつて、現時点では学業復帰が火急の事態であることも併せ考察すれば、請求者の方がより好条件にあり且十分な配慮をしているものと認められる。

(四)  さらに住居の住所の状況、経済力等について見れば、拘束者側は、将来拘束者宅に居住する予定であるところ、そうなれば、三間の家に成人四人と被拘束者が居住することになり若干手狭になるほか、収入の面も金額的には一応足りるとしても将来的には不安定であるといわざるを得ず、また拘束者宅には被拘束者の兄二人が居住しているが、同人らは被拘束者にとつて異母兄弟にあたる上すでに成人に達しており、被拘束者とは年令の開きがあるほか、同人らも被拘束者を十分に監護すべき時間的余裕もないから、被拘束者の情操教育上格別の好影響を与えるものとは期待し難いのに対し、請求者側は、住居の点で余裕があり、収入の面でも親子二人にとつては十分なものと認められ、さらには被拘束者と同一の小学校へ通学する同学年の子供がいるので被拘束者の情操面でも好条件にあるものと思料される。

(五)  さらに、双方の監護能力の点についてみると、拘束者は勤務時間の関係上夜間以外は被拘束者の監護を他に委ねざるを得ないが、拘束者の実母はすでに高齢の上外へ働きに出ているので適任とはいえず、妹のS子も長期にわたる被拘束者の監護能力を有していないと認められるのに対し、請求者は、被拘束者を学校へ送り出した後出勤し、一旦自宅へ戻つて被拘束者を迎え、夕食の準備をした後再度出勤する形になり、また請求者の不在中もM子らによる監護が十分に可能な状態にあるものと思料される。

以上検討してきた点を総合すれば、請求者の被拘束者に対する愛情は十分にこれを看取できるところであるし、請求者が被拘束者を引き取つた場合の請求者側の監護の態勢は、拘束者側のそれと比較してはるかに整備されていることが認められるから、請求者が被拘束者を養育監護することが、拘束者のもとに置かれるよりも同人の幸福に適することは明らかであつて、たとえ拘束者が主張するごとく、請求者が過去において不貞行為に及んだり、あるいは被拘束者を残して外出したようなことがあつたとしても、かかる事実は、現にそのようなことが頻繁に行われていることの疎明がない以上、前記判断を左右するものとはいえず、他に請求者に被拘束者を引渡すことがその幸福に反するとすべき事情をみとめるに足りる疎明資料はない。

したがつて、拘束者の抗弁2の主張は理由がないことに帰するから、拘束者による被拘束者の拘束は、違法であり、しかもその違法性が顕著である場合にあたるものといわざるをえない。

五以上の次第で、請求者の本件請求は理由があるから、これを認容し、人身保護法一六条三項により直ちに被拘束者を釈放し、人身保護規則三七条後段により被拘束者を請求者に引渡すこととし、本件手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(久末洋三 三浦潤 多見谷寿郎)

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